高賀山からヤッホー

  信仰の山の山頂は雪景色

高賀山 (こうかさん) 1224m 3回目 12・3

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2017年2月26日岐阜県関市の高賀山をめざしました。

9時00分岐阜県関市洞戸高賀の「高賀の森」の駐車場から単独で登山開始。

岩のゴロゴロした登山道を登り、林道を横切った所にある東屋。

登山道をしばらく登った所にある「垢離取場(こりとりば)」に到着。

「不動の岩屋」と呼ばれる巨石。

岩の下に10人くらいは入れます。

御坂峠に到着。

右へ行くと峰稚児神社で左へ行くと高賀山なので左へ進みました。

もう少しで高賀山の山頂へ到着。

10時59分高賀山の山頂に到着。

ヤッホー ( -。)<<<<

今日の高賀山の山頂からの展望は雲が多くてイマイチでした。

山頂は寒かったので昼食を済ませて早々に下山しました。

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岩のゴロゴロした丸木で作られた階段のある道を15分くらい登ると林道に出ると東屋があり、ここに高賀山の登山口ある。

ここの谷(御坂谷)を詰めて御坂峠に向かう登山道は自然石を利用した登山道でした。

東屋のあつた登山口から5分くらい登ると「垢離取場」に着く。

清らかな沢を渡って沢の左岸を標高750m付近まで登り、再び沢を渡って急登の登山道を登ると、やがて登山道の左側にある岩屋に着きました。

間口4mほどで奥行き5mほどの巨石があり、明治の初期まで不動明王が祭られていたそうです。

岩屋からジグザグに急斜面を登ると、ヒノキやスギの木が生えていて登山道はガリガリの凍結状態でよく滑り、注意して登り切ると御坂峠に到着した。

御坂峠から進路を左にとって稜線の登山道を進むとやがて高賀山の山頂に着きました。

山頂からの展望はイマイチで御嶽山、乗鞍岳、北アルプス、白山、伊吹山等はハッキリ望めず、山頂は寒かったので昼食を早々に済ませ下山しました。

高賀山の神様に見守られ無事下山できました「高賀山の神様ありがとうございました」

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詳細はヤマレコに書き込みましたので宜しく!

Filed under: 山登り — masao 9:19 PM  Comments (0)

岩巣山からヤッホー

  東海自然歩道を登り尾張北部の奥座敷へ

岩巣山 (いわすやま) 481m

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2017年2月19日愛知県瀬戸市の岩巣山をめざしました。

8時23分愛知県瀬戸市岩屋町の岩屋堂無料駐車場に駐車し単独で登山開始。

岩屋堂に到着し岩屋堂の由来が書かれた立派な石碑を拝見。

立派な展望台に到着。

展望台からはっきりと望めた名古屋の街。

9時37分岩巣山の山頂に到着。

ヤッホー ( -。)<<<<

岩巣山の三角点の所からの展望は望めず、山頂から南方向へ行った所の岩の上から名古屋の街が少し望めた。

登山道の途中の展望地から名古屋の街を望む。

元岩巣の山頂の三角点。

瀬戸大滝に立ち寄り岩屋堂の駐車場に戻りました。

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登山口から少し進むと巨大な石室があり、この石室がこの地の由来となる岩屋山薬師堂だ。

お堂の右手階段を登り、竹林や雑木林の中を登り高度を上げて行くと15分ほどで、目の前をさえぎる砦岩と呼ばれる巨石を左に巻き進むと岩巣山展望台に着きました。

展望台で小休止し道標に沿って緩やかな尾根道(東海自然歩道)を登り下りして行くと湿原の小川の脇を進み、100mほど高度を上げると元岩巣への分岐に着きました。

元岩巣の三角点は帰りに立ち寄ることにして、先へ進むと標高499m地点に立つ送電線の鉄塔があり、ここにある分岐を左へ行きアップダウンを繰り返して進む。

露出した風化状態の花崗岩のヤセ尾根を進んで行くと左側に名古屋の街が望める展望地に着き、さらに進むと岩巣山の山頂に到着しました

岩巣山の山頂の展望はの良くなく、山頂から南方向に進んだ岩場付近で食事を済ませ下山開始しました。

下山の途中(岩巣山展望台の手前)に左方向へ向かい瀬戸大滝を見学し駐車場に戻りました。

岩巣山の神様に見守られ無事下山できました「岩巣山の神様ありがとうございました」

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詳細はヤマレコに書き込みましたので宜しく!

Filed under: 山登り — masao 8:51 PM  Comments (0)

飛騨の神社めぐり その8

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東照宮 (とうしょうぐう)

通称 松泰寺(しょうたいじ)

住所 岐阜県高山市西之一色町1004番地

主祭神

 徳川家康(とくがわいえやす)

摂末社祭神

大山咋神(おおやまぐいのかみ)
      応神天皇(おうじんてんのう)
      家都御子神(けつみこのかみ)
      速玉男神(はやたまおのかみ)
      熊野久須美神(くまのくすみのかみ)
      菊理媛命(くくりひめのみこと)
      伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
      伊邪那美命(いざなみのみこと)

東照宮の第一番目の鳥居手前の広場から撮影。

雪が無ければこの橋を渡って本殿へ向かいます。

左側にある朱塗りの祠。

東照宮の本殿。

第一の鳥居から本殿まで除雪がされてなく本殿に到着するまでにひと汗掻きました。

由緒由来

東照神君徳川家康公没後三年の元和五年(1619)、時の高山藩主金森家三代重頼(幼少時駿府にて小姓として最晩年の家康公に仕えた)、高山城内に東照権現社を勧請。

十年目の寛永五年、城に西面する西之一色鴻巣の杜尾崎に遷座したのが飛騨東照宮の創始である。

金森藩六代頼ときの延宝八年(1680)社殿を改修、清鏡寺跡に東耀山松泰寺を建立別当寺とした。

元禄五年(1692)金森藩は羽州上ノ山に転封、高山は所謂天領となった。

同藩はその後濃州郡上八幡に国替えとなったが、その間東照社を鎮守として護持、高山の社地は約七十年に亘って御宮跡と呼ばれ、松泰寺のみ寺院として栄えた。

その後金森藩は宝暦騒動によりお家断絶、東照社も故地高山へ帰ったが安永、天明と飢饉が続き、祭祀は絶え荒廃。

幕府直轄領となって百余年、化政期に入って当時別当を兼帯していた櫻山長久寺良賢法印、東照社の再興を発願、その奔走と江戸で旗本として復活していた金森家後裔重任等の尽力によって再建の運びとなり、時の郡代芝与市右衛門正盛の采配により、高山の有力町人(内山忠右衛門ら)の財政援助もあって、同じ鴻巣の杜の現在地を卜し、山を削り、八十八段の石段を構築し、神池と石橋を設け、棟梁に名工水間相模、彫刻に 口与鹿の師、中川吉兵衛を得て文化十五年(1818)、現在の社殿、境内の結構がなった。

三年後には能舞台、七年後には本地堂が建立され、その後幕末に至る迄例祭は陣屋の差配により町方が出向斎行され、郡代、請史の参拝が恒例となった。

又、芝郡代による、おかめ、アオソウの面の寄贈、神楽奨励によって、おかめ踊や獅子による湯立神事も行われ、4月17日の例祭日には町方からも参拝客が繰り出し大賑わいを呈したという。

維新後は幕府の崩壊・神仏判然令施行等により、別当松泰寺も廃寺、本地堂には朝日稲荷宮、官公廟が祀られることになり、明治二年には、東照宮は町方より村方に移管明治四年には村社となり、暫く村人にも氏神として親しまれるようになったが、明治四十一年には地区内の山王・八幡・熊野三社が合祀され、大正十二年には郷社に昇格、昭和に入り戦後は銀幣社筆頭格として現在に至っている。

その後昭和四十九年には旧清見村森 白山神社が合祀された。

尚境内社として高山市始祖金森初代長近公を祀る金龍神社が祀られていて、市民の崇敬を集めている。

東照宮文化財等 

1、東照宮本殿一棟、付唐門、透塀 県指定重要文化財
2、飛騨東照宮 おけめ舞 ひょっとこ舞の付面 県指定重 要無形民俗文化財
3、本地堂一棟 付 棟札一枚 高山市指定有形文化財
4、四神旗四本(黒漆塗棒、縮緬三葉葵紋染抜旗、彩色木彫 竿頭飾) 高山市指定有形文化財
5、幸田善太夫高成墓一基(第八代代官)松泰寺墓地 高山 市指定史跡
6、非常用乾飯蔵跡石碑 高山市教育委員会建立
7、小峯大羽句碑 (大羽 東京の人 飛騨に近代俳句を導 入した先達) 高山市文化協会建立
8、明治37・38年役記念碑 乃木希典書 松倉石石碑

Filed under: 散歩 — masao 6:23 PM  Comments (2)

飛騨の神社めぐり その7

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日枝神社 (ひえじんじゃ)

通称 飛騨山王宮 (ひださんのうぐう)

住所 岐阜県高山市城山町156番地

主祭神 

大山咋神(おおやまつみのかみ)

由緒由来 

遠く永治元年(1141)、時の飛騨守時輔朝臣が、ある日片野山中で狩りに出て、奇瑞のことがあったので、その城をかまえていた石光山(今の高山市片野地内)に近江の日吉大神を勧請して、城の鎮護としたのがはじまりである。

その後、四代目景家の時、養和元年(1181)正月、源義仲の部将手塚光盛に攻められ、利あらずして敗亡、社殿も兵火にかかって消失したが、幸いにして御霊体は災禍をまぬがれ無事奉安することができ、里人によって社殿は再興され、片野村の産土神として奉祀されていた。

幾多の年月を経て天正13年(1585)、金森長近父子が豊臣秀吉の命によって飛騨へ入国、諸将を平らげて国内を統一し、国守に封ぜられて、同14年、城を天神山(今の城山)に築いた。

金森氏の祖は近江国で、代々日枝大神の崇敬が厚かったことなどから、慶長10年(1605)、片野より現在の地へ奉遷して城の鎮護神とし、社地と社殿を寄進造営、社僧松樹院を置いて片野、高山南半分の産土神に定められた。

かくして金森氏歴代100余年間、城主の崇敬あつく度々の社殿の改築修造が行われてきた。

今に残る社殿の棟木、神輿等に見る国守の紋所梅鉢はじめ金森長近公愛用の陣羽織及び刀等にもそれを伺うことができる。

元禄5年(1692)、城主移封となり、徳川幕府の直轄となってからも、歴代の代官・郡代の尊崇あつく、度々社殿の修築、参詣があった。

明治以後は郷社を経て昭和に県社となり、一般に『山王さま』と親しまれ、氏子数2700戸はじめ高山市民の尊崇を集めている。

祭礼は春の高山祭り(はるのたかやままつり)で4月の14日と15日に行われる。

290205城山町・日枝神社01

この参道を進んで行くと左側に朱色の鳥居があります。

290205城山町・日枝神社02

立派な日枝神社の鳥居。

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日枝神社の本殿。

290205城山町・日枝神社04

日枝神社の大スギ。

290205城山町・日枝神社05

日枝神社の大スギの説明看板。

Filed under: 散歩 — masao 9:25 PM  Comments (2)

「はんちくたい」日曜日

 今日は山へ行けないので残念!

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今朝9時の天気図はこんな感じで良い天気は望めず「はんちくたい」

どうも昨年から日曜日になると天気はイマイチなので天気の周期の歯車が狂う事を祈ります。

今日は山登りを断念し、飛騨の神社めぐりに出かけました。

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Filed under: 未分類 — masao 9:20 AM  Comments (2)